心の領域を、意識・前意識・無意識に分類したフロイトはその後、心の機能を「イド」「自我」「超自我」の三層構造に分け、それらの相互作用をもって心というものの働きを説明しようとしました。
そのうち「イド」は、精神の奥底にある本能的エネルギーの源泉であり、それは快楽原則に支配されているのです。
快楽原則とは「快を求め不快を避ける」という極めて原初的な機能で「腹がすいたから食べる」「眠いから寝る」などといった具合に本能的な欲望を発現する心の機能なのです。そしてそれは赤ちゃんとして生まれた瞬間から備わっている心的機能であり、生命体としての人間が生きていくための基本的な欲求と言えるのです。
そしてそれは無意識になされるものであり、発育するに従い、生後約6ヶ月くらいになると外界の現実にそれらの欲求を上手く従わせようとする意識的な「自我」が形成されてくるのです。
「自我」は、エゴとも呼ばれるもので自分を取り囲む社会の規則に自身の行動を適合させようとするものではあるものの、それは自分の思い通りにしたいという欲求でもあるのです。
性欲・食欲・睡眠欲の三大欲に代表される本能的なイドの欲求を現実社会の中で実現可能にしようと働くエゴ。しかしそれは時としてイドの欲求が強過ぎた場合、その欲求を我慢することが出来ず、行き過ぎてしまう可能性もあるため心には「超自我」と呼ばれる自我を監視し、その欲動に対し検閲的な態度をとる心的機能が存在するのです。
「超自我」は、スーパーエゴとも呼ばれ、俗にいう良心や道徳心に当たるもので4~5才くらいに自我から分化発達してきます。
親のしつけや教師による教育的指導、また友人や社会の中における人間関係により徐々に自身の内面に形成されるものが超自我でありそれがあるからこそ、社会は互いがあまり傷つけ合うことなく人間同士良い関係を築いていくことが出来ているのです。
しかし、一見すると良いことばかりに思える超自我と自我・イドの関係ですが、あまりにも超自我が強過ぎると自身の持つ欲求は過度に抑圧され、心の歪みとして神経症などの疾患を生む原因ともなってしまうのです。
本能としての強い欲求を生み出す「イド」。
そしてそれを社会に添う形で実現しようと働く「自我」。
倫理的・道徳的な立場でそれらを監視する「超自我」。
されど、その力動的バランスが上手くなされなければ精神は決して安定することはなく、それは様々なフラストレーションとして心を蝕んでしまいます。
~ 自己の欲望を満たしながらも社会に迷惑をかけない生き方 ~大切なのは、自身の心を守りつつ、他者を思う気持ちなのです。
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